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30年前に学べ

政治とカネの問題はなぜ繰り返されるのか。派閥の弊害も言われて久しい。なぜ派閥政治はなくならないのか。こうした国民の疑念に答えるために30年前の政治改革を振り返って教訓を引き出す必要があると思える。
1988年、リクルート事件は政財界の一大スキャンダルに発展し竹下内閣の退陣に発展する。危機感を抱いた自民党は伊藤正義本部長、後藤田正晴本部長代理とする政治改革本部を発足させる。そして翌89年、政治改革大綱を党議決定する。この大綱を出発点に94年の政治改革法案成立までの間、日本政治は政治改革が主要課題として展開されて行く。この大綱は自民党の作成であったが、適格な問題意識と視野の広さで、その後与野党や経済団体労働界マスコミ界などの政治改革論議の出発点になった。大綱は「政治とカネ」の問題について政治家個人の特別な問題として捉えるのではなく、それまでの政治全体の制度的問題であると指摘した。その最大の論点になったのが中選挙区制であった。中選挙区制は政権交代のない状態を作り出すとともに、同じ政党の候補者が政策ではなく有権者への利益誘導を競い合いカネのかかる政治の温床になっている、その背後には派閥があり正常な政党間競争を阻んでいる、と画期的な問題提起を行った。この問題提起以降、与野党とも深刻な党内の争いや論議を経ながら、94年に小選挙区比例代表制の衆院選挙制度、政治資金規正法の大幅改正、政党助成法、小選挙区画定審議会法の政治改革4法案を成立させる。
大綱は、政治とカネについて政治資金の節減、公正、公開の徹底を強調している。今回焦点になっている政治資金パーテイーについても閣僚、派閥などによる開催の自粛を徹底するとともに官公庁の介在の排除、一定金額を超える同一の者による購入の禁止などの立法措置を講じる、と記している。その後、与野党の折衝で政党以外への企業団体献金の禁止なども合意され腐敗防止関連の法も成立する。今、問題になっている政治資金パーテイーについては公開基準が与党案5万円、自民党案50万円であったが20万円で決着した経過がある。
しかし、派閥政治の温床と指摘された同志打ちが行われる中選挙区制がなくなっても、派閥は解消されなかった。与野党の競い合いを通じて政権交代を期待した制度設計も近年は野党の弱体化などもあり一党支配体制が続いている。派閥による政治資金規正法違反があからさまに行われている事態も露呈された。すざましい論議が展開され海部、宮澤内閣が倒れ自民党分裂という事態にまで発展し実現した政治改革法案であったが、30年経過した現実政治の実態は政治改革の理念とは大きくかけ離れているようだ。目指した政策本位、政党本位の政治は幻に終わったかに見える。安倍元総理も岸田総理も93年当選組であり89年以来の改革論議に参加していない。この時代を知る議員は石破茂氏などわずかになった。しかし今回のスキャンダルを受け、与野党とも30年前に苦闘を重ねて成立した政治改革の歴史を学んで教訓にして欲しいものである。その上で、なぜ30年前の理念は現実政治の中で生かされなかったのかを分析し、政策政党本位の政治、派閥の解消、政治資金のあり方などを議論し令和の政治改革運動を進めるべきと思われる。

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「保守」と「リベラル」(読後感)

 日本で保守とは、憲法改正や靖国参拝に熱心で、女系天皇制導入に反対でLGPTや夫婦別姓を否定する政治だと一般的に認識される場合が多い。だが、イギリスのエドマンド・パークに端を発する本来の保守思想とは、人間は愚かで間違いやすく理性的な能力や判断力には限界がある。社会に継承されてきた経験知や伝統、良識などに依拠し斬新的な改革を進めて行くべきとする。そして保守主義はあくまで自由を追求する価値観を有するものであり反動や復古主義とは異なるものとされる。
 宇野重規氏が1月に「日本の保守とリベラル」(中公選書)を発刊した。日本の保守主義もリベラリズムも成立に必要な継続性、連続性が明治維新、第2次大戦の敗北で断たれたとする。それでも学ぶべき系譜は多く、保守主義では伊藤博文、陸奥宗光、原敬、西園寺公望、牧野伸顕から吉田茂へと連なってきたとし、リベラリズム的流れは福沢諭吉、石橋湛山、清沢洌などの思想に見られるとする。著者は、こうした近現代日本における「保守」と「リベラル」の議論の蓄積を再確認し、現代に発展させて行くべきとする。現状維持を容認する思想なき保守から脱皮し、自らの歴史と伝統に真に誇りを持つがゆえに必要な変革を行う「保守」、自らが社会を担っているという自負と責任感を持つがゆえに寛容で、懐の深い「保守」となることを求める。排外的なナショナリズムやジエンダー平等や文化の多様性の排撃などは保守主義とは無縁だとも指摘する。
 そして、歴史的蓄積が幅広い裾野を持つものでなかったことを踏まえながらも、「好き勝手」や「わがまま」の自由とは違う、単なる個人の自由や利己主義でもない、個人の責任を強調しつつ、多様な価値観を認め、受け入れるだけの気概と道理を持ったリベラリズムの確立の必要性も訴える。著者は「保守」も「リベラル」も、両者は同時に追求することが可能であり追及されて然るべきとする。
 欧米におけるポピュリズム政治の台頭は、長い歴史を持つ「保守」や「リベラリズム」に揺らぎをもたらしている。日本政治もまた大衆受けを競う政治が横行する。
著者の危機感は現代政治に重い課題を突き付ける。共感するばかりである。


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国葬で感じたこと

 賛否が渦巻く中で安倍元総理の国葬が行われた。葬儀では友人代表の立場で読まれた菅前総理の弔辞が話題となった。菅氏は「語りあひて 尽くしゝ人は先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」と伊藤博文をしのんで詠んだ山県有朋の歌でしめくくった。この弔辞をめぐって御厨貴東大教授など大方の評価は高かったが、一部のマスコミや評論家は戦前陸軍を形成し日本を第2次大戦に導く方向性を築いた人物を引き合いに出したと批判した。一方、伊藤之雄氏の著作「山県有朋」(文春新書)によれば山県が築いた日本陸軍は、太平洋戦争へ導いた日本陸軍に直接つながるわけではないと明らかにする。山県は軍拡を主張する一方、大陸政策については常に拡大に慎重であったことも記されている。そして「愚直」という表現がもっともふさわしい山県の生涯は、幕末・維新の中で倒れていった多くの志士たちに対する責任感だっただろうと推測する。
このように100年も前に亡くなった山県の評価さえ両極端に分かれる。政治家の場合、歴史上の評価は直ちには定まらず後世の判断に委ねられる。果たして国葬に賛否両論が渦巻いた安倍氏は後世どう評価されるであろうか。
もう一つ,気になる点は、安倍元総理を銃撃した容疑者について、旧統一教会の被害者としてメデイアの報道が続いている点だ。「暴力は許されない」という前提はつけているものの、容疑者に同情的か、安倍元総理や自民党と旧統一教会との結びつきが事件の深層だとするような報道が連日のようにメデイアで行われている。だが、これは論理のすり替えだ。容疑者の身勝手な動機や手製の銃を作った周到さを決して容認してはならないと思われる。戦前の歴史を紐解くと、血盟団による井上準之助、団琢磨暗殺, 5,15事件、永田鉄山暗殺, 2,26事件など相次ぐテロ事件が繰り返された。テロに同情的な風潮などが軍部の勢力拡大から戦争への道へ突き進む大きな要因となった。歴史は、いささかもテロに同情したり容認したりする風潮を繰り返してはならないことを教えている。
そして旧統一教会が詐欺的商法などを繰り返し、多くの被害者を出してきた社会的問題の多い団体であることは明らかだ。選挙支援などを受けたり、集会に参加したりメッセージを送るなど教団に社会的正当性を与えてきた政治家は、道義的責任を感じて反省するのは当然だ。だがカルトと普通の宗教を区別することは相当難しい。私はオウム真理教の取り締まり立法に関わってきたが「無差別大量殺人行為を行った団体」と特定して法案化した経過を思い出している。信教の自由に配慮しつつ被害者の再発を防止する対策の確立が期待される。


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大戦の教訓とロシアの侵攻

 戦争の惨劇がまたも繰り返されている。これまで各国は第1次大戦後も第2次大戦後も戦争の惨禍を繰り返さない平和の誓いを行ってきた。4年余に及んだ第1次大戦は空前の戦死傷者を出しヨーロッパに破滅的な結果をもたらし1918年に終わる。翌年パリで講和会議が開かれる。多国間協調の国際機構として国際連盟を設立し、パリ不戦条約が締結される。締約国は国際紛争解決のため戦争に訴えることを放棄し平和的手段で解決することが合意された。だが1939年ドイツのポーランド侵攻を契機に第2次大戦に突入し不戦の誓いは、わずか20年で打ち破られる。5年余にわたる戦争の結果、またしても世界中で未曾有の戦死者が出る。この第2次大戦後、連合国は国連憲章を定め国際連合を設立する。大国に責任ある地位を与えなかったことなど国際連盟の失敗を総括し、常任理事国5大国の拒否権などを定めた。そして、すべての加盟国は、その国際関係において武力による威嚇又は武力の行使の禁止を国連憲章で謳った。日本国憲法9条1項はこの28年の不戦条約と45年の国連憲章を前提に作られたとされる。国連発足後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などに加え、中東やアフガニスタンなどで紛争が繰り返された。だが各国の自重や国際協調の動き、抑止力なども働き、大規模な国家間の侵略戦争は回避されてきた。しかし、とうとう国家による露骨な侵略戦争が国連常任理事国ロシアによって引き起こされ、国連の存在価値が問われる事態になった。
 今回のロシアによるウクライナへの侵攻は専制政治の横暴で野蛮な体質を世界に見せつけた。プーチン体制は独裁者による独断政治で、極端な権力集中体制を取り政権内に抑制機能が全く働いていないことが明らかになった。そして専制政治の特徴である政府と異なる意見の表明や行動などについては、容赦のない逮捕、罰金刑などが適用される。またメデイアの徹底統制、SNSの監視に加え、偽情報を繰り返すことで世論操作を行い、国内の議論や批判を封じ込める。戦場では目を覆いたくなるような大量虐殺が繰り返される。
 G7各国を中心にロシア包囲網が進められているが、残念ながら事態は膠着し長期化されるというのが大方の予想だ。今後、戦争による世界経済への影響が浸透し、日常生活へ及ぶことも憂慮される。経済への不安から西側諸国にも国際協調よりも自国第1主義が強まることが危惧される。アメリカやヨーロッパの多くの国での選挙状況や政党支持率など世論調査を見ると一抹の不安を感ぜざるを得ない。西側諸国は専制政治の蛮行を許さず、平和を希求する揺るぎない体制を存続し、不安を杞憂に終わらせて欲しいものである。
日本は、今回ロシアが「特別軍事作戦」と称するように、かつて「満州事変」「支那事変」を正当化し大戦に至った歴史体験から、自由と人権、民主政はかけがえのない価値であることを学んできた。ロシアとは北の国境を接し北方領土の返還問題を抱える。近隣には専制政治の国家も存在する。自らの未来のためにも、国際社会とともに2度の大戦の教訓を生かし平和を守り抜く姿勢を貫きたいものである。


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民主政の試練

 ミャンマーでは今年2月クーデターによって軍が権力を掌握した。アフガニスタンでは8月に首都カブールを制圧した軍事組織タリバンが実権を握った。民主化を求める民衆の抵抗は抑圧され、両国とも数十年に及んだ民主化の取り組みは挫折し軍や武装勢力による専制政治の国家が誕生した。またポーランドやハンガリーなどの東欧諸国でも民主政治が後退しているとされる。プーチン政権のロシア、エルドアン政権のトルコなども民主主義国としては疑わしい状況だと外交専門家などから指摘される。このように多くの国で民主政の後退現象や揺らぎが現れている。
 コロナウイルスへの対応でも民主主義国家よりも専制主義や権威主義の国家の方が抑え込みに成功しているとする見方もある。権威主義国家ではロックダウン(都市封鎖)や個人の行動の規制が容易で、効率的にコロナ対策に効果を上げているとされる。新型コロナ感染症は自由の制約という、民主主義国家のもっとも不得意とする対策が求められた。いつでも人間の自由を制約出来る権威主義国家と違い、民主主義国家では個人の自由との調整を図りつつ、悪戦苦闘の対応が続く。これに対し早稲田大学講師の安中進氏は「民主主義的価値に疑問が投げかけられる中、コロナの死者数などデータの透明性を考慮すると権威主義国家の優位性は認められない」「政治体制の優劣を断定的に判断することは出来ない」とする(中央公論9月号)。そして民主主義や自由は、人間社会が長い政治的闘争をへて確立してきた理念であり、不用意に貶めることがあってはならない、と指摘する。
 こうした中、6月に英国で開催されたG7サミット(先進7カ国首脳会議)はG7に疑義を唱えたトランプ時代から再びアメリカが復帰し首脳宣言が発表された。宣言は専制主義に対する民主主義の勝利のための努力と団結の必要性をうたった。また気候変動問題や途上国へのコロナワクチン供給問題などとともに、経済力や軍事力でアメリカに迫る大国になった中国に対しては、新疆ウイグル自治区の人権問題、香港の自治と自由の抑圧などを列挙し権威主義国家に対する民主主義国家の対抗姿勢を強調した。
 一方、経済や社会政策でも「世論に耳を傾ける民主的な国家ほど21世紀に入ってから経済成長が低迷し民主主義国家の優位性が揺らいでいる」(成田悠輔エール大助教授)と指摘されるなど、民主主義国家は大きな壁に直面しているように見える。こうした中、近年の民主主義国家では、半導体など産業対策やデジタル課税など政府の介入も目立つようになった。コロナ感染症に苦しみつつも民主主義国家は市場メカニズムを重視するレーガン・サッチャー以来の小さな政府路線から転換し、新たな時代に入ったかに見える。日本の自民党総裁選でも岸田総裁は新自由主義からの脱却を訴えた。こうした変化への対応を通じて民主政は試練とたたかい鍛えられて行くものと思われる。人類の貴重な資産である自由と人権を制約する専制主義や権威主義と対抗しつつ、民主政は新たな挑戦の時代を迎えている。

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アダムズ方式

 総務省は6月25日2020年の国勢調査の速報値を発表した。この結果から22年以降の衆院選で導入する「アダムズ方式」で試算すると小選挙区の定数配分が10増10減となる。比例定数も北陸信越を含めた見直しが行われる。小選挙区は東京、神奈川、埼玉、千葉、愛知の5都県で10増、地方の10県で10減となる。この調査結果を受け「地方の声を代弁する議員が減少するのは問題だ」と指摘する何人かの与野党議員の談話が報道された。「地方軽視につながる懸念」などと報じたメデイアもあった。だが一票格差を出来る限り人口比に近づけることは法の下の平等を定めた憲法の要請であり、これまでも何度も定数是正が実行されてきた。地方の声を重視する主張を衆院の定数論議に絡めることは、定数是正を否定したり先延ばしする口実を与える危うさを孕んでいる。
 衆院では1993年の小選挙区比例代表並立制導入以来、各党の定数削減という人気取り政策もあって3回にわたって定数是正が行われてきた。アダムズ方式による制度は一票の格差の違憲状態をなくすために当時の衆院選挙制度に関する調査会の答申を受けて16年に国会で決定された。これまで衆参の定数論議は最高裁の違憲判決を避けるために、その場凌ぎの対応が繰り返されてきた。16年改正も20年国勢調査の結果まで課題を先送りしたため、今秋行われる総選挙は2倍超の格差を抱えたまま行われる。また18年の参院選挙制度の改正では鳥取島根、徳島高知の合区、埼玉の定数増に加えて合区で溢れる議員救済のため比例に拘束名簿枠を法定した。定数は6も増やし一票格差是正の辻褄合わせをした。国民の批判を避けるため、増員する議員経費に充てるため議員一人毎月7万7千円を返納出来るとする、あきれるばかりの法改正も行った。このように国会議員の定数配分をめぐっては各党や議員の事情や思惑などによって、ねじ曲げられたり、現職議員優遇の対応が繰り返されてきた歴史がある。
 こうした経過を見ると、アダムズ方式の導入が地方軽視につながるとする懸念は的外れで、選挙区画定審議会から出される答申を、粛々と法案化して成立することが求められる。一方で、相次ぐ災害や、コロナ対策での知事の皆さんの苦闘ぶりを見ても、大都市への人口集中に対し地方の声を尊重する仕組みを作ることも要請される。これまでも衆参両院の在り方を検討し参院を「地方の府」に作り替えるべきとする主張が多くの識者からなされてきた。世界各国の第2院と比較しても特異な参院の在り方をめぐる議論は、主として与野党の参院側の消極姿勢によって前進していない。また一票の格差をめぐって参院の複数の県をまたぐ合区は今後も増え続け地方の議員はますます減少する可能性が高い。アダムズ方式による衆院の選挙区見直しは参院を含めた改革の機会と捉えるべきと思われる。

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100年前の警鐘

 マックス・ヴェーバーが亡くなって100年の今年、雑誌や新聞で特別企画が相次いだ。共通する問題意識があったらしく岩波と中央公論社はそれぞれ評伝の新書を刊行した。旧版(1980年)の「職業としての政治」(岩波文庫)も佐々木毅氏(元東大総長)の解説を加えて新装出版された。新聞紙上でも姜尚中氏の対談形式などで何度か掲載された。
 マックス・ヴェーバーの著作の中でも「職業としての政治」は政治学の古典として、今日でも世界中で幅広く読まれている。マキャヴェリの「君主論」とともに、この2冊は政治家には最低限の必読書とも言われる。私も現職の頃、超党派の議員仲間の「比較政治制度研究会」という勉強会で読後の感想を議論し合った。この勉強会には佐々木先生はじめ先日亡くなられた近現代史の坂野潤治先生やアメリカやヨーロッパ政治の研究者などに出席いただき適切なアドバイスやご指導を仰ぎながら国内外の歴史など幅広く学んだ。ヴェーバー没後100年で様々な企画書などが発刊された今年、当時が懐かしく思い出される。世界中でコロナ感染が猛威を奮っているが、100年前のヴェーバーの死因がスペイン風邪であったことを思うと、何か因縁めいためぐり合わせを感じる。
 ヴェーバーの時代、第一次大戦後のドイツはスパルダクス団(ドイツ共産党の前身)による蜂起が失敗し騒然たる状況にあった。特にミュンヘンは「前衛的な学生や知識人の[革命]という誇らしげな名前で飾り立てられた乱痴気騒ぎ」の中にあった。こうした1919年の状況下でヴェーバーが学生たちを前に行った講演の記録が、「職業としての政治」である。以来、世界的な名著として今日まで読まれ続けてきた。ヴェーバーは政治家に求められる資質として情熱、責任感、判断力の三つを上げる。そして「政治とは情熱と判断力を駆使しながら、堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくりぬいていく作業である」と政治家としての資質を厳しく問う。
 100年前スペイン風邪は世界中に大きな打撃を与える。当時もマスク着用反対運動などがあった。また世界全体の死亡率に比べ日本の死亡率が低いなど今日と相似する。第一次大戦後、国際連盟設立、今日の日本国憲法9条の原型とも言うべき不戦条約を締結するなど、世界は平和への歩みを進める。だが自国第一のブロック経済政策などが対立を招き数年にしてヒットラーの台頭を許す結果となる。米大統領選での国民の分断やヨーロッパでのポピュリズム政治の蔓延など民主主義が問われる状況を見ると100年前の歴史をしっかりと見据える必要性を痛感する。おそらくは今年ヴェーバーを取り上げ出版した各社の編集部や作者も同じ問題意識があったものと思われる。国民請けする政策、人気取り政策に偏りがちな日本の中央地方の政治家にもヴェーバーの警鐘を厳しく受け止めて欲しいものである。



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新冷戦時代の日本外交

 45年体制と言われる戦後世界秩序は、圧倒的な経済的、軍事的優位を背景にしたアメリカの主導によって維持されてきた。ブレトンウッズ体制(1944年の通貨金融の国際合意)のもとドルは基軸通貨として機能を果たし、市場経済と自由貿易体制が多くの国に繁栄と安定をもたらした。そしてソ連の崩壊により冷戦も終決し世界は平和と安定に向かうものと期待された。だが近年、アメリカの相対的地位が低下する一方、躍進目覚ましい中国の挑戦が目立ち国際秩序は不安定感を増している。覇権を競う米中新冷戦時代の始まりと言われる。
 中国は目覚ましい経済発展にも拘らず共産党一党体制を強化し内外で力による強行路線を貫いている。経済では社会主義市場経済体制を推し進め、市場支配力を拡大する。南シナ海では軍事力による国際法への挑戦を続ける。尖閣諸島でも日本領海への侵入を繰り返す。香港やウイグル自治区で自由や人権の抑圧が繰り返される。ニクソン大統領の訪中以来、アメリカ始め西側諸国が抱いてきた「経済が豊かになると民主主義体制に移行して行く」という希望的観測はどうやら幻想に終わりそうだ。さらに、生産拠点としての存在から膨大な人口を抱えた消費市場として存在感を増し、世界中の企業が中国市場を目指して凌ぎを削る。その巨大市場を背景に「戦狼外交」と呼ばれる力の外交を繰り返す。軍事力の強化にも力を注ぎ空母や核兵器に加え宇宙空間やサイバー分野でも軍事強国の道を歩む。こうした中国に対してアメリカはじめオーストラリア、カナダ、欧州各国などに警戒感が拡がりつつある。覇権を競う米中の争いはアメリカによるファーウェイ排除などデジタルを最前線として激しさを増す。
 世界には、環境問題や地球温暖化、そして感染症のワクチン供給など国際協力で解決しなければならない課題は山積している。対立と覇権争いから、大国同士が協調して共通の課題に取り組む世界秩序を作り出して欲しいものだが、期待に反して新冷戦は長引きそうである。
 日本としては、米国とは同盟を深め国際協調路線に引き戻すこと。そして最大の貿易相手国になった中国とは、民主、自由、、人権、など普遍的価値を重んじることこそ中国の利益であることを中国自身が認識できるような環境をねばり強く働きかけて行くこと、が外交の基本的立場になるのではないだろうか。長い道のりではあるが協調と平和の国際秩序形成に向けて日本の果たす役割は大きい。

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チャレンジ精神は甦るか

 政府は8日経済財政諮問会議に示した「骨太の方針」で「日本が世界から取り残され埋没しかねない」と危機感をあらわにした。科学技術など多くの分野で、日本の国際的地位の低下が指摘されて久しい。コロナ危機への対応でも日本のデジタル化への遅れが明らかになった。一律給付金や助成金などの事務作業のもたつきに加え、医療現場でのオンライン診療、教育現場でのオンライン授業など諸外国に比べて立ち遅れが指摘された。科学技術立国を誇っていた日本の地位の低下はかねてから懸念されていた。研究論文数で米中両国に大きく後れを取り、世界大学ランキングでも100位以内は東大と京大のみという状況だ。最先端技術で凌ぎを削る半導体分野でも、かつて世界のベスト10の上位を独占していた日本企業は姿を消しトップランナーの地位から完全に脱落した。一人当たりGDPでもかつての世界4位から26位まで後退した。
 後退の要因は数々指摘される。チャレンジ精神を失った活力の衰えがその一つとされる。80年代後半には昭和時代に急成長した経済に自信を持ち、日本中が繁栄を謳歌しバブル経済に踊った。だがこの過程で努力や勤勉の尊さを失って行った。そして90年代始めのバブル崩壊のショックを受けた日本企業はその後遺症を引きずる。臆病になり過ぎ、投資や賃上げに資金を回さず、ひたすらため込み内部留保を積み上げることに注力した。結果、リスクを取って新しい投資を避けるあまり、新製品や新サービスを産み出せなくなった。バブル後遺症のチャレンジ精神の喪失こそが停滞の要因の一つとされる。
 この傾向は官の世界にも波及し、チャレンジする精神、課題に立ち向かう姿勢が官僚たちから失われていったと指摘される。明治以来、優秀な官僚たちはエリートであり続け日本の発展を支えてきた。大蔵省はじめ各省庁には日本の頭脳が集まり政策の立案、実行に手腕を発揮してきた。城山三郎さんの小説「官僚たちの夏」に生き生きと描かれているように、彼らは総じて「国を背負う気概」に燃えていた。優秀なエリート官僚から何人もの総理大臣はじめ有力な政治家が数多く生まれ、経済界、学界などにも多くの人材を輩出した。だが平成の30年間で彼らの中に気概みたいなものが薄れ、国家国民よりも省益や組織防衛優先の姿勢が目立つようになったとされる。
 このように官民から進取の精神が失われ、国民全体にも安全指向が強まりチャレンジ精神が喪失したことが国際的地位の低下の要因とされる。打開する切り口は、やはり政治だ。長期に及んだ安倍政権は官邸中心の安全指向の政権運営が特徴のように見える。与野党の国会論戦も当面の課題が中心だ。衆院任期満了が迫り解散の話題が飛び交う中、人気取り的な短期思考でなく、将来課題に真正面から取り組むことが今後の政治には必要だ。与野党を問わず、問題意識を共有して中長期課題に取り組みことが求められる。企業や官僚が輝きを取り戻し日本再生を果たして行くために政治のリーダーシップを期待したいものである。

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ポピュリズムの克服

「一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている。…共産主義の妖怪が。」1848年マルクスとエンゲルスによる「共産党宣言」の書き出しの有名な一節である。今日「一つの妖怪が世界にあらわれている。ポピュリズムという妖怪が」とでも表現したい勢いでポピュリズムが世界を覆っている。アメリカにトランプ大統領が誕生し伝統的な共和党の政策を捨て、あからさまな「自国第一主義」を推進する。イギリスでは保守党主導でブレグジットが実現した。イタリアでは左派の「五つ星運動」と極右の「同盟」による連立政権が実現している。その他多くの国でポピュリズム政党が伸長し、世界中にポピュリズムの風が吹きまくる。それは伝統的な「保守」や「リベラル」からも、イデオロギーの対立する左右両派からも生まれている。ポピュリズム政治は古代から批判されその危うさが指摘されてきた。古代ローマ社会では、食料と娯楽を提供する愚民政策でローマ市民が政治的に盲目に置かれていると「パンとサーカス」の諷刺詩として今日に伝わる。20世紀になってからも、当時ワイマール憲法のもと世界でもっとも民主的と言われたドイツで、ポピュリズム政治家ヒトラーが巧みな演説と宣伝で権力を掌握し悲劇へと突き進む。われわれは少し過去を紐解くだけで、ポピュリズムの危険性を教えてくれる多くの歴史を知ることができる。
ポピュリズムは世界的に進むグローバル化に対し「自国第一主義」を唱える。総じて経済政策では政府の関与を小さくするよりは「大きな政府」による国の積極的関与を志向する。MMT(現代貨幣理論)を肯定し、財源は税負担を避け国債で賄い大衆の支持を狙う。いつの時代も単純明快で歯切れのよい主張で国民請けを狙う。さらにヨーロッパ各国の反移民、アメリカのメキシコとの壁、ナチス時代の反ユダヤなど排外主義で敵を作り攻撃する手法が共通する。そこには、人間は不完全なものとし斬新的な改革を訴えてきた寛容で折り目正しい伝統的な保守主義の姿は見られない。社会的公正や多様性を重視するリベラリズムとも無縁である。
日本は、急進的ポピュリズムは見られず安定した政治が続くと評価されてきた。しかし「れいわ新選組」や「NHKから国民を守る党」にポピュリズムの台頭を懸念する指摘もある(「Voice」4月号「日本の生存戦略」松井孝治慶大教授)。だが両党にかぎらず、伝統的保守政党やリベラルを自認する日本の政党に、ポピュリズム政策の競い合いという傾向が強くなっていないか。突然のコロナ危機は、大恐慌から戦争へと突き進んだ20世紀前半の歴史と重なる。コロナ危機後、国際社会は協調して混乱や停滞から社会や経済の再生に立ち向かわなければならない。政党や政治家は大切な局面にあることを自覚し、ポピュリズム政治が蔓延する世界と渡り合ってほしいものである。

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