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年配者の「君たちはどう生きるか」

 「君たちはどう生きるか」のマンガ版(芳賀翔一・マガジンハウス)が大ヒットし今も売れ続けているという。ブームが起きてかなりの日数が経つのに、いまだに多くの書店で特設コーナーを設けて売り出している。もともとの原本は1937年に吉野源三郎によって書かれ「日本少国民文庫」(新潮社)の一冊として刊行された。前年の36年には二・二六事件が起り、この年は盧溝橋事件が勃発、日中戦争の泥沼化と軍国主義へ大きく傾斜して行く年であった。そんな時代に子どもたちにしっかり生きて欲しいという願いを託して書かれた本である。
 山の手の知的エリート的な家庭の旧制中学二年生コペル君こと本田潤一と叔父さんとの対話をベースとして物語は展開される。ニュートンやナポレオンが登場し科学や歴史への見方を学び、いじめに直面したコペル君の行動と苦悩も描かれている。活字離れが進み、出版業界の不況が深刻化する中で80年前のこの本が売れるのはなぜか?作者の吉野源三郎(1899~1981)は戦後民主主義の旗手として、岩波書店の雑誌「世界」の編集長として長くその任にあたったことで知られる。この原本はその吉野の若き日の一冊である。吉野は東京師範学校附属小中学校を卒業し旧制一高、東京帝国大学経済学部へ進む。こうした吉野の経歴から「君たちはどう生きるか」のコペル君は東京山の手育ちの吉野の自伝的小説だという見方もあり、教育者や学生に愛読された作品である。現代の教育者や子を持つ親も、コペル君が上級生のイジメを目撃し仲間を見捨てる罪悪感などに現代教育の直面する課題と重なり合うものを感じたのだろうか。それとも子や孫に「未来の知識人」を期待してのことだろうか。ブームの要因としては、はっきりしない。
 しかし今回の大ヒットは、どうやら年配者にけん引されているようだ。私も数軒の本屋で「どんな人たちがお買い求めになられるか」と店員さんに訪ねてみた。「年配の方が多いです」という返答だった。マンガと同時に刊行された新装の「君たちはどう生きるか」(マガジンハウス)で前書きを執筆した池上彰も源三郎の長男吉野源太郎(元日経新聞論説委員)との対談で、子どもたちの両親やおじいさん、おばあさんが買い与えているためだと分析している。(文芸春秋18年3月号)
 戦後、吉野は「世界」を拠点に51年の「単独講和か全面講和か」60年の「安保改定」などに挑み続けるが、自身で敗北を認める結果を味わう。「君たちはどう生きるか」のヒットは、吉野と同じ敗北感を味わい戦後を生きた私たち高齢世代の思考のジレンマが要因の一つと言えるかも知れない。この本は、戦後民主主義の世代、60年安保世代、70年前後の全共闘世代等々、一度は「世界」を小脇に抱えて反戦平和を唱え、心情的に岩波文化に同調した世代の数多くの人々によって読まれているのではないか。自らを進歩的と自認しながら、今なお行き場に迷っているわれわれ高齢者のノスタルジアが本を手に取るきっかけになっているのではないか。若い世代だけでなく、年配者になっても「君たちはどう生きるか」が問われていることは確かである。
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