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国葬で感じたこと

 賛否が渦巻く中で安倍元総理の国葬が行われた。葬儀では友人代表の立場で読まれた菅前総理の弔辞が話題となった。菅氏は「語りあひて 尽くしゝ人は先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」と伊藤博文をしのんで詠んだ山県有朋の歌でしめくくった。この弔辞をめぐって御厨貴東大教授など大方の評価は高かったが、一部のマスコミや評論家は戦前陸軍を形成し日本を第2次大戦に導く方向性を築いた人物を引き合いに出したと批判した。一方、伊藤之雄氏の著作「山県有朋」(文春新書)によれば山県が築いた日本陸軍は、太平洋戦争へ導いた日本陸軍に直接つながるわけではないと明らかにする。山県は軍拡を主張する一方、大陸政策については常に拡大に慎重であったことも記されている。そして「愚直」という表現がもっともふさわしい山県の生涯は、幕末・維新の中で倒れていった多くの志士たちに対する責任感だっただろうと推測する。
このように100年も前に亡くなった山県の評価さえ両極端に分かれる。政治家の場合、歴史上の評価は直ちには定まらず後世の判断に委ねられる。果たして国葬に賛否両論が渦巻いた安倍氏は後世どう評価されるであろうか。
もう一つ,気になる点は、安倍元総理を銃撃した容疑者について、旧統一教会の被害者としてメデイアの報道が続いている点だ。「暴力は許されない」という前提はつけているものの、容疑者に同情的か、安倍元総理や自民党と旧統一教会との結びつきが事件の深層だとするような報道が連日のようにメデイアで行われている。だが、これは論理のすり替えだ。容疑者の身勝手な動機や手製の銃を作った周到さを決して容認してはならないと思われる。戦前の歴史を紐解くと、血盟団による井上準之助、団琢磨暗殺, 5,15事件、永田鉄山暗殺, 2,26事件など相次ぐテロ事件が繰り返された。テロに同情的な風潮などが軍部の勢力拡大から戦争への道へ突き進む大きな要因となった。歴史は、いささかもテロに同情したり容認したりする風潮を繰り返してはならないことを教えている。
そして旧統一教会が詐欺的商法などを繰り返し、多くの被害者を出してきた社会的問題の多い団体であることは明らかだ。選挙支援などを受けたり、集会に参加したりメッセージを送るなど教団に社会的正当性を与えてきた政治家は、道義的責任を感じて反省するのは当然だ。だがカルトと普通の宗教を区別することは相当難しい。私はオウム真理教の取り締まり立法に関わってきたが「無差別大量殺人行為を行った団体」と特定して法案化した経過を思い出している。信教の自由に配慮しつつ被害者の再発を防止する対策の確立が期待される。


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