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30年前に学べ

政治とカネの問題はなぜ繰り返されるのか。派閥の弊害も言われて久しい。なぜ派閥政治はなくならないのか。こうした国民の疑念に答えるために30年前の政治改革を振り返って教訓を引き出す必要があると思える。
1988年、リクルート事件は政財界の一大スキャンダルに発展し竹下内閣の退陣に発展する。危機感を抱いた自民党は伊藤正義本部長、後藤田正晴本部長代理とする政治改革本部を発足させる。そして翌89年、政治改革大綱を党議決定する。この大綱を出発点に94年の政治改革法案成立までの間、日本政治は政治改革が主要課題として展開されて行く。この大綱は自民党の作成であったが、適格な問題意識と視野の広さで、その後与野党や経済団体労働界マスコミ界などの政治改革論議の出発点になった。大綱は「政治とカネ」の問題について政治家個人の特別な問題として捉えるのではなく、それまでの政治全体の制度的問題であると指摘した。その最大の論点になったのが中選挙区制であった。中選挙区制は政権交代のない状態を作り出すとともに、同じ政党の候補者が政策ではなく有権者への利益誘導を競い合いカネのかかる政治の温床になっている、その背後には派閥があり正常な政党間競争を阻んでいる、と画期的な問題提起を行った。この問題提起以降、与野党とも深刻な党内の争いや論議を経ながら、94年に小選挙区比例代表制の衆院選挙制度、政治資金規正法の大幅改正、政党助成法、小選挙区画定審議会法の政治改革4法案を成立させる。
大綱は、政治とカネについて政治資金の節減、公正、公開の徹底を強調している。今回焦点になっている政治資金パーテイーについても閣僚、派閥などによる開催の自粛を徹底するとともに官公庁の介在の排除、一定金額を超える同一の者による購入の禁止などの立法措置を講じる、と記している。その後、与野党の折衝で政党以外への企業団体献金の禁止なども合意され腐敗防止関連の法も成立する。今、問題になっている政治資金パーテイーについては公開基準が与党案5万円、自民党案50万円であったが20万円で決着した経過がある。
しかし、派閥政治の温床と指摘された同志打ちが行われる中選挙区制がなくなっても、派閥は解消されなかった。与野党の競い合いを通じて政権交代を期待した制度設計も近年は野党の弱体化などもあり一党支配体制が続いている。派閥による政治資金規正法違反があからさまに行われている事態も露呈された。すざましい論議が展開され海部、宮澤内閣が倒れ自民党分裂という事態にまで発展し実現した政治改革法案であったが、30年経過した現実政治の実態は政治改革の理念とは大きくかけ離れているようだ。目指した政策本位、政党本位の政治は幻に終わったかに見える。安倍元総理も岸田総理も93年当選組であり89年以来の改革論議に参加していない。この時代を知る議員は石破茂氏などわずかになった。しかし今回のスキャンダルを受け、与野党とも30年前に苦闘を重ねて成立した政治改革の歴史を学んで教訓にして欲しいものである。その上で、なぜ30年前の理念は現実政治の中で生かされなかったのかを分析し、政策政党本位の政治、派閥の解消、政治資金のあり方などを議論し令和の政治改革運動を進めるべきと思われる。

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