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「保守」と「リベラル」(読後感)

 日本で保守とは、憲法改正や靖国参拝に熱心で、女系天皇制導入に反対でLGPTや夫婦別姓を否定する政治だと一般的に認識される場合が多い。だが、イギリスのエドマンド・パークに端を発する本来の保守思想とは、人間は愚かで間違いやすく理性的な能力や判断力には限界がある。社会に継承されてきた経験知や伝統、良識などに依拠し斬新的な改革を進めて行くべきとする。そして保守主義はあくまで自由を追求する価値観を有するものであり反動や復古主義とは異なるものとされる。
 宇野重規氏が1月に「日本の保守とリベラル」(中公選書)を発刊した。日本の保守主義もリベラリズムも成立に必要な継続性、連続性が明治維新、第2次大戦の敗北で断たれたとする。それでも学ぶべき系譜は多く、保守主義では伊藤博文、陸奥宗光、原敬、西園寺公望、牧野伸顕から吉田茂へと連なってきたとし、リベラリズム的流れは福沢諭吉、石橋湛山、清沢洌などの思想に見られるとする。著者は、こうした近現代日本における「保守」と「リベラル」の議論の蓄積を再確認し、現代に発展させて行くべきとする。現状維持を容認する思想なき保守から脱皮し、自らの歴史と伝統に真に誇りを持つがゆえに必要な変革を行う「保守」、自らが社会を担っているという自負と責任感を持つがゆえに寛容で、懐の深い「保守」となることを求める。排外的なナショナリズムやジエンダー平等や文化の多様性の排撃などは保守主義とは無縁だとも指摘する。
 そして、歴史的蓄積が幅広い裾野を持つものでなかったことを踏まえながらも、「好き勝手」や「わがまま」の自由とは違う、単なる個人の自由や利己主義でもない、個人の責任を強調しつつ、多様な価値観を認め、受け入れるだけの気概と道理を持ったリベラリズムの確立の必要性も訴える。著者は「保守」も「リベラル」も、両者は同時に追求することが可能であり追及されて然るべきとする。
 欧米におけるポピュリズム政治の台頭は、長い歴史を持つ「保守」や「リベラリズム」に揺らぎをもたらしている。日本政治もまた大衆受けを競う政治が横行する。
著者の危機感は現代政治に重い課題を突き付ける。共感するばかりである。


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