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立ち読み

 年に1度か2度、溜まった資料や本の整理をすることがある。雑然としたいくつかの本棚の奥に、学生時代か若い頃購入した思想史や農業経済の全集などがほこりを被って大きな面積を占めている。大概はかじっただけで跳ね返された書物だ。処分しようかと思ったりするが、若い頃の挑戦した思い出を無くすような気がしてそのままにしてある。能力や読書力もないのに、よくもまあ購入したものだ、などと思っている。転勤や自宅の増改築の折などに、相当思い切って処分したはずなのに、捨て切れなかった本は愛着のあるものばかりだが、さりとて再挑戦する意欲も起こってこない。年齢を重ねるにつれ様々な衰えを感じるようになっているが、体力や思考力に加え、根気やねばりが無くなったのを強く自覚するようになっている。特に、書いたり読んだりする根気の衰えは著しい。生来の怠け者に加えての現象だから手に負えない。読書を始めても、パソコンに向かって文章を書いても根気が続かず、1時間位で小休止が必要になる。だから分厚な書物は、どうしても読みたいものか小説以外は最初から遠避けるようになる。週に何回か本屋に行くが、買い求めるのはほとんど新書か文庫本だ。200~500ページの新書や文庫は丁度良い分量だ。このぐらいなら途中で投げることもなく読みきれる。本棚は次第に新書のスペースが大きくなった。
 店頭には、新書の類だけでも岩波新書をはじめ多くの出版社のものが溢れている。中には、どうも?と首を傾げるような新書の氾濫も目立つ。派手なタイトルと帯であきらかに印税稼ぎと思われるようなもの、ライターに任せて記述したと思われる政治家や経営者などのもの、無責任と思われる経済学や社会学説をしたり顔に語る使い捨て新書、等々が店頭に並ぶ。最近はどんな本でも書店に行かずにネットで気軽に購入出来るし、少し古くなった本などは格安に買える。だが、やはり本屋で手に取ってパラパラとページをめくり立ち読みをし、目次や巻頭の文書やあとがきを読むことで作者の意図や思いを探るのは楽しみだ。
 近頃は結構時間の余裕があるので、妻の買い物には出来るだけ付き合って外出の機会を増やすようにしている。買い物をする大型店にはどこもテナントの一角に書店がある。専門書以外は結構品揃えも豊富だ。妻が食料品や身の回り品などの買い物を楽しんでいる間、書店で立ち読みをしながら過ごす時間は、衰えた私の、少しだけ残っている知的欲求を擽ってくれる。妻の長い買い物時間のお蔭である。
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