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農村風景(2)

 田植えをしたのがつい先頃だと思っていたら、早くも稲刈りの真っ最中だ。中にはバインダーで刈って「はぜかけ」をする農家もあるが、大半は大型のコンバインでまたたく間に終わって行く。かつてのような家族総出の稲刈り風景は見られない。私たちが幼少の時代から経験した手刈りは、今や希少で、どこかの幼稚園児や小学生、あるいは都会の児童が来て狭い田んぼで稲刈りをしたなどと、ニュース番組で報道される程になった。
 コンバインの収穫作業を見ていると、刈り取りと脱穀作業が同時にたちまち終わって行く。実である籾以外の茎などの部分は容赦なく小さく粉砕されて行く。かつて稲の収穫は、刈り取りの後、稲束に結われ「はぜかけ」にし天日で乾燥された。脱穀の後に残るわら(藁)も重要な副産物だった。縄やむしろ(筵)、俵といった再生産に必要な資材に加工されたり、藁布団や草履や畳などにも活用され生活上も欠かせない必需品だった。こうした藁製品は次第に化学製品などに取って代わられた。正月の「しめ飾り」ですらほとんど合成繊維になった。そしてコンバインで粉々にされた藁は有機物として鋤き込まれるか、焼却されたり、畜産農家へ売られて行くらしい。もっとも近年は、畜産農家向けの藁は中国などからの輸入も大変な量になるそうだ。
 そう言えば先頃、民俗や郷土史などを研究している高校時代の友人が「コメが日本人の[主食]になったのは戦時中の配給制以来か、近年のコメ余りになってからだ。それ以前は各地域にコメ以外に麦やそば、雑穀などを原料にした独特で多様な郷土食があったのさ」などと語っていた。私は「コメを食べたくても満足には食べられなかったのが日本人の縄文末期以来の歴史で、60年代になってはじめてコメ余り現象が起きたのさ」などと居酒屋で語り合ったことを思い起こした。彼は民俗学に造詣が深く、地域の郷土食などについても深く研究していた。彼はまた「農山村の高度成長期以降の最大の変化は、民俗が消滅したことさ」とも語った。どうやら水稲稲作農業を行う農村・農業の民俗を対象とする柳田民俗学への批判的見解も持っていたらしい。語り合ううちに、なるほどと納得させられることが多かったことを思い起こした。藁は民俗の消滅の一つかも知れない。
 あれこれ思い起こしたり、感傷にもふけりながら、農業や農村の更なる変貌を予感しながらのウォーキングである。
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野党再生

 1994年、政治改革法案が成立した。長年にわたって、自社両党による55年体制と呼ばれた政治が続き閉塞状況にあった日本政治を打破する制度的な改革が行われた。だが法案成立後、政治改革を推進した非自民8党会派連立の細川、羽田政権が倒れる。社会、さきがけ両党が連立を離脱し自民党との連携に乗り換えたためだ。同年、自民、社会、さきがけ3党による村山政権が発足し、その後は橋本政権へと引き継がれ、自民党の政権復帰が実現する。この時、社会党は旧来の左派勢力が主導し、「さきがけ」は武村正義、田中秀征、鳩山由紀夫や社民連から合流した菅直人等が主要メンバーで自民党との連携を推進した。
 残った細川、羽田政権を支え政治改革を推進した勢力の間では、政権交代可能な野党結集が課題となる。そして小沢、羽田氏らの新生党、公明、民社、日本新党に自民、社会からの離党者を含め、新進党が結成される。一方、閣外協力で橋本政権を支えてきた社会党、さきがけも選挙への展望が開けず、分裂し旧民主党を結成する。だが97年新進党は内部対立などで6党に分党する。再び、野党結集が課題となる。紆余曲折を経ながらも野党は大同団結し98年民主党結成へと漕ぎ着ける。そして09年には念願の政権交代も実現する。この間、政治改革と野党結集に執念を燃やし続けた中心メンバーには、自社両党による旧い55年体制から脱却し日本政治の再生を果そうとする揺るぎない強い意志が一貫していた。
 現在、自民党は衆参の選挙で圧勝し国民から高い支持を得ている。一方、野党は各党が内部対立を抱え混迷を深めるばかりに見える。だが民主制にとって巨大与党をチェックし国民に選択肢を広げる野党の存在は欠かせない。3年間に及んだ政権担当時の反省と総括を深めるとともに、90年代の野党結集の悪戦苦闘の離合集散の歴史にも学び、再生を期待したいものである。
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田植え風景 [田植え風景]

 ここ数年、早朝1時間程のウオーキングが日課になっている。住んでいる集落を抜け整備された水田地帯を歩く。私の子供の頃は、小さな田畑や桑畑などが入り組んでいた地帯だ。周辺の集落との間には団地がいくつか出来た。その集落や団地を避け、残った農地が農業構造改善事業で整備された。曲がりくねっていた農道や水路が真っ直ぐになり、田んぼは四角に広く整備され大型機械が入れるようになった。そこは今、田植えの真っ最中だ。
 昔日の田植えの風景は全く見られない。かつては狭い田んぼを家族総出で手植えをしていた。田植え前の耕起や代掻きは牛や馬が主力だった。私が中学生の頃だったと思うが、ある農家が農機具会社から1台の耕運機を購入した。たちまち牛馬は1頭もいなくなった。さらに田植え機が普及した。あの苦労な田の草取りは除草剤の散布で済まされるようになった。稲刈りは鎌を使っての手刈りからバインダーに代わった。脱穀は足踏み式から動力になった。大部分の農家は兼業になり、コメ作りは片手間仕事になった。
 今、目にする光景はさらに凄まじい変化だ。代掻きは大型トラクター、田植え機は乗用で一度に10条以上も植えて行く。秋の稲刈りも大型コンバインで行われる。歩行型の耕運機や田植え機、バインダーなどは見られなくなり、家族総出の田植えや稲刈りの風景も姿を消した。
 縄文後期から弥生時代に伝来したとされる稲作は、犂や鍬など農具の改良はあったが数千年もの間、家族や集落による共同の手作業で行われてきた。その稲作の姿は、動力と肥料や農薬など化学製品の導入によってこの50年で一挙に変わった。同時に、春秋には村中総出で水路や農道の普請をし、豊作への祈願や感謝を捧げる春秋の村祭りなどが行われてきた農村共同体社会も大きく変わった。
 水田農業を基盤とした勤勉さや家族・地域の共同社会が日本社会の原型であったとするならば、稲作の変貌や農村の変化は将来の日本社会にどう影響して行くのだろうか。
 田植え風景を眺めながら、あれこれ思いながらのウオーキングである。
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違憲判決への対応

 昨年末の衆院選の「1票の格差」をめぐる16件の判決がでそろった。広島高裁は違憲と断じた上で、8ヶ月以内に是正されなければ昨年12月の選挙を無効とする猶予期間付き無効判決を、高裁岡山支部も無効判決を言い渡した。他の高裁は国会の取り組みの遅さを「違憲」としたが、公益に重大な障害が生じる恐れがあるとする「事情判決の法理」で「無効」とまではしなかった。だが、一定期間内に是正がなされなければ無効判決も検討すべきと東京高裁などの判決は言及している。
 昨年末の選挙が無効でやり直しが命じられたら、どういう事態が想定されるだろうか。公選法は選挙違反や投開票ミスなどによる選挙無効は想定しているが、1票格差による無効は想定していない。果たして無効になった選挙区を新しい選挙区に線引きして選挙をやり直すのか?その場合、影響を受ける隣接選挙区はどうなるのか?惜敗率に基づく比例議席はどうなるのか?等々、無効判決が確定した場合の対応処理は極めて困難が予想される。結局、国会が早期に是正措置を講じる以外に混乱を避ける方法はないと思われる。
 その場合、いくつかの判決でも指摘されているが、1票格差是正の選挙区の画定は定数削減と切り離して議論すべきだ。現在、提案されている様々な定数削減の手法は、各党の一致が得られ、国民理解が得られるとはとても思えない。それどころか国民受けを狙ったポピュリズム的内容とテクニカルな辻褄合わせの手法が目に余る。定数削減は参院のあり方を含む統治の仕組みの議論が欠かせない。別途、第9次の選挙制度審議会を設置して議論を深め、抜本改革の道筋をつけたらどうだろうか。
 一方で1票格差是正は、想定される最高裁の最終判断前に優先して処理することが必要なことは明らかだ。0増5減の緊急是正法で済ますことなく、選挙区の画定は一人別枠方式を前提とせず審議会に委ねる、とする方向性を明確にすべきだ。それこそが選挙区の定数や線引きの是正には政治家がタッチせず、国勢調査毎に機械的に行うとする「選挙区画定審議会設置法」の成立時の理念に適うものである。
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定数削減論議と参院改革

 安部総理がデフレ対策の強力なメッセージを発したことで市場では円安、株高が進み、政権の船出は取り敢えず順調なようである。これから難問続きの具体的な諸課題に取り組むことになるが、その一つに選挙制度改革がある。野田前総理は、昨年11月14日の党首討論で定数削減を条件に16日の衆院解散を約束した。民自公3党は通常国会での処理を確約し0増5減だけ成立させ国会は解散した。こうした経過からして通常国会での定数論議は避けられない課題となっている。「国民に消費増税をお願いする以上、国会議員が自ら身を切る改革をしなければならない」とした野田前総理の発言もあり消費税8%引き上げにも影響する命題になっている。
 そこで心配されるのは各党の安易な一時しのぎのテクニカルな対応だ。前国会では定数削減は比例定数削減で対応することとし、比例定数の一部に連用制の導入、一部を得票率20%未満の政党に配分など、わかりにくい小手先とも言える案が与野党間で行き交った。選挙制度は統治システムの根幹に関わる問題で、定数削減先にありきではなく統治の仕組みの論議が欠かせない。数だけなら日本の国会議員数はアメリカは別にして英、独、仏などの国に比べて人口比にして少ない方である。むしろ政治の統治機能やリーダーシップこそが問題視されているのではないだろうか。失われた20年と言われる背景には絶えず、決められない政治、混迷を続ける政治の問題が指摘されてきた。こうした日本政治が抱える問題点が定数削減で解決の方向へ向かうとは考えられない。議会政治の仕組みの根本的検討がなされて然るべきと思われる。大きな問題の一つに世界に類例のない強い権限を持つ参院のあり方の問題がある。上院は地方自治体の代表機能というのが世界の趨勢だ。日本のように国民代表機能を並立して持つ院が二つ存在する国は見られない。決められない政治は参院の存在によるところが大きい。すでに衆参の議決が異なる時の両院協議会のあり方や再可決条件を3分の2から過半数に切り下げるなどの提言もなされている。この際、定数削減論議は2院制のあり方を含む抜本的議論をすべきではないだろうか。例えば、参院を地方代表機能を果たす院に位置づけ機能を明確にする。議員は47都道府県代表制とし数年かけて選挙制度の変更と定数を大幅削減する、などの案が考えられる。こうした議論には参院側の大反発が想定される。参院改革を言い出せば参院の与野党が一致して反発してきた経過も繰り返されてきた。自民総裁選、民主代表選など政党の党首選びも参院側の意向が帰趨を左右してきた歴史もある。強すぎる第2院は、法案審議に強い権限を持つとともに党内政治でも強力な力を発揮してきたのが実態だ。それだけに参院の反発を恐れ、参院改革は誰も言い出せない経過が続いてきた。良識の府としての参院改革のためにも この際、第8次以来20年も設置されていない第9次の選挙制度審議会を発足させて、こうした議論を深めて答申を出してもらったらどうだろうか。消費増税対応のために衆院の比例定数を削減するなどという小手先対応だけは願い下げである。
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第三局

 「近い内に信を問う」としながら政治の方向がはっきりしない。特例公債法案や衆議院の一票格差の是正に目途をつけることが先だ、などと解散先送り論が野田総理や民主党内で強いからだと報道されている。ならば、両法案が通過したら解散すると言明すべきではないか。そうでなければ「近い内に信を問う」と言ったのは消費税法案を通すための方便だった、ということになる。どちらかを明確にすることが野田総理に求められている。選挙をやれば負けるから、あれこれ理屈を並べて解散先延ばしをしている、と国民は冷静に見ている。野田総理は政党政治のルールに沿ってわかりやすい決断をすることが必要と思われる。
 一方、自民、公明両党は特例公債法案と一票格差是正法案を通過させ、約束の履行を迫るべきと思われる。審議拒否などの手練手管の国会運営は国民の不信感をもたらす。せっかくの三党合意で出来た日本政治の前進の芽を大事にして欲しいものである。
 そうした中で第三局を目ざす動きがあわただしくなっている。石原東京都知事が新党を立ち上げるとして辞任し、維新の会などと連携し第三局を結集し国政に進出するという。最後のご奉公だとし、世論の耳目を集める衝撃的な発表であったが、何を目ざし、何をするのか、がはっきりしない。「硬直した中央官僚の支配制度を変えなきゃだめだ」とするが、目ざす政治理念も政策も不明確だ。確かに、ここ数年の日本政治の混迷は目を覆うばかりの様相だ。民主、自民両二大政党の統治能力に幻滅感が拡がっている。こうした政治の現状に対し、橋下維新の会、小沢国民の生活が第一、渡辺みんなの党、さらには河村名古屋市長の減税日本など第三局を目ざす動きが花盛りだ。だが、消費税引き上げと財政再建、エネルギーと原発などに答えを出しながら、日本再生を果たして行く理念や大枠の道筋は不透明のままだ。なかには明らかなポピュリズム的政策や訴えが目に付く。既成政党を批判しながらも、第三局の諸勢力の統治能力には疑問符が付く。
 こうした動きに対応すべき民主、自民両二大政党の責任はいよいよ重い。筒井清忠氏は近著「昭和戦前期の政党政治(二大政党制はなぜ挫折したのか)」で、政党の側の行き過ぎた党利党略に加え、政党外の超越的勢力とマスメディア世論の結合が軍部、官僚、警察、新体制などの第三局を導き出し、政党政治の崩壊に至った、と指摘している。原型は昭和戦前にも存在したのだ。示唆に富んだ歴史である。
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昔話で片付けられない

 「日本はなぜ開戦に踏み切ったか」(森山優著 新潮選書)には、困難な決断を先送りし開戦に踏み切った当時の指導者たちの論理や背景が、膨大な資料を分析して描かれている。当時の秀才たちやエリートが集まっていた陸軍や海軍。高い能力を持つ彼等が優先したのは組織的利害であった。冷静な国家的視点からの判断は遠避けられた。参謀本部は大陸での組織的利益を失わないために中国からの撤兵要求を拒否する。海軍も重要物資の優先配分を獲得するために戦争準備へと突き進む。開戦が望ましいとする論拠は、それぞれが希望的観測にもとづく粉飾された数字合わせであった。独裁や暴走ではなく、強力な指導者を欠く非決定や両論併記を積み重ねる寄り合い所帯の政策決定システムが、戦争回避を不可能にした。日本の指導者たちは不都合な未来像を直視することを避けた結果、開戦という最もリスクの大きい選択をする。
 同様な指摘は、かつて丸山真男の「現代政治の思想と行動」でもなされていた。丸山は当時の軍国支配者を「戦争を欲したかといえば然りであり、戦争を避けようとしたかといえばこれまた然りである」と、官僚精神の広がりと政治権力の分散化や断片化が政治家や軍官僚に蔓延したことに注目し、リーダーたちの責任意識の欠如を驚きを持って指摘した。指導者の資質が矮小化し独裁的な責任意識もなくなり、戦略的視点、計画性や組織性が決定的に欠けていた、と論じた。
 では民主制のもとで、そうした課題は解決されているだろうか。「戦略なき日本」「縦割り行政の日本」「省益優先の統治」は、まるで今日の民主制の日本を見ているような気分になる。「決められない政治」の現状を見るにつけ、「昔話」で片付けられない課題といえるのではないかと思える。総選挙を前に政党や政治家の真価が問われる。
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周辺国に対して

 1895年日清戦争後、日本に対しフランス、ドイツ、ロシアにより、いわゆる三国干渉が行われ、日本政府は受諾を決断する。以後、政府は臥薪嘗胆をスローガンに国力の増強に努める。これに対し、新聞論調と一体となって世論は激しく反発した。その10年後には、日露戦争後の講和内容に強い不満を抱いた国民は日比谷焼き打ち事件など暴動を起こす。さらに1930年には、ロンドン海軍軍縮会議での条約批准に関しマスコミ、世論がまたも激しく反発し、統帥権干犯問題へと発展する。そして浜口総理狙撃事件を引き起こし、政党政治の弱体化、軍部独走へと進む。こうした事例に限らず、いくつかの大事な局面で、国民世論、マスコミは冷静さを失い、強烈なナショナリズムの感情に流され、判断を誤らせた歴史が繰り返された。その結果は1945年の敗戦へと繋がることとなる。
 ナショナリズムが登場するとき、こうした歴史を思い起こす習性が、多くの日本人の身についているようである。
 今、韓国の李明博大統領の竹島訪問や天皇陛下への謝罪要求、香港の活動家らの英雄気取りの尖閣への上陸、メドベージェフ首相の北方領土訪問、次々と周辺国の偏狭でむき出しのナショナリズムが渦巻く。それぞれの国のマスメディアや世論は、支持し礼賛する報道や行動が繰り返されているという。また反日デモやネット空間での反日の言動や情報があふれているという。日本がかつて辿った歴史を想起するような動きが続く。
 歴史を体験してきたわれわれは、冷静で国際感覚も併せ持つ開かれたナショナリストとして対応することが必要だと思われる。譲歩の余地のない課題だけに、偏狭なナショナリズムの対立に発展することを避けながら、具体的な防衛体制を進めるなど諸対策を講じるとともに、正論を主張し毅然と対応して行きたいものである。
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会期末の決断

 毎年、恒例行事のように国会の会期末は混乱するが、今年の雲行きはとくに険しいものを感じる。様相を緊迫させている要因は、解散含みということもあるが、ここへ来ての野田総理の強い決意と姿勢だ。この間、小沢氏との2度の会談では一歩も譲歩せず、そして問責決議を受けた2閣僚の交代を含めた内閣改造を手際良く断行した。小沢氏など党内反対派に対し、党内融和よりも自民党など野党との協議を優先する姿勢を明確にした。さらに消費増税では、採決の先送りを図る輿石幹事長などの慎重論を抑え、与野党協議を進め15日までに決着を目指す手筈を自ら整えた。「日本の将来を左右する大きな決断のときだ」とする姿勢にブレは感じられない。
 さらに大飯原発再稼動問題でも「原発なしでは、日常生活だけでなく経済活動や国のエネルギー安全保障の視点からも立ち行かない」と明確で確信に満ちた記者会見を行った。
 こうした野田総理の決断は、日本の政治が久しぶりに決められる政治に向かうのでは、と期待を抱かせる評価になっている。問題は、法案採決時に想定される権力争い含みの混乱にどう立ち向かうか、だと思われる。すでに小沢氏は消費増税に反対の立場を明確にしている。国民の生活が第1だとか、消費増税よりも国の形を地方主権に抜本的に変えることが先決、などと首をかしげたくなる言葉が発しられているが、本音はどこにあるのだろうか。これに対し野田総理は法案採決時にも、党の分裂を恐れることなく進むことができるだろうか。法案採決時の賛否が政界再編に繋がれば、日本政治にとって悪いことではない、と思われる。思い起こせば93年の通常国会の会期末、小沢氏自身が仕掛けた政治改革をめぐる宮沢内閣不信任案の採決時にも、同じような展開があった。この時は、55年体制に代わる新しい政治システムを作るとした小沢氏の主張と、党議に反し内閣不信任案に賛成した行動は、多くの国会議員や世論の支持を得、非自民の細川連立政権の誕生へと繋がったのだが…。今回の小沢氏の主張には、93年の時のように世論の圧倒的支持を得る高い理念や具体的政策が見えない。今回は立ち位置が替わって、どのように展開するのだろうか。
 総理をはじめ、それぞれの政治家の資質が問われる会期末だと思われる。
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理念なき定数削減議論

 衆議院の選挙制度改革に関する各党協議会が迷走している。小選挙区を0増5減する、比例は全国単位とし定数を75減らし、内35議席は「連用制」とする、などの2度目の座長提案がなされたが、各党は一斉に反発し、取りまとめを断念したと報道されている。こんな理念なき複雑怪奇な案は、到底国民に理解されないだろう。取りまとめ断念は当然である。問題をこじらせている要因は、最高裁から指摘されている一票の格差是正の問題と、消費税論議を前にマニフェストに掲げた定数削減問題を絡ませ、混同しているところにあると言わざるを得ない。
 そもそも選挙制度は、どのような政党政治の姿を目指すのか、どのような議会制度や統治の形を想定して制度を設計するのか、という観点から議論が深められなければならない。94年の政治改革法の成立時の国会論議では、こうした点についても数年にわたって議論がなされた。結果、小選挙区比例代表並立制に集約されて行ったが、民意の反映や統合機能について、さらには日本の議会制度の歴史や総括、諸外国の制度の長短など、幅広く、深い議論の末に辿り着いた結論であった。
 今回の迷走ぶりを見ていると、数合わせ、マニフェストへのこだわり、中小政党の主張などを小手先で繋ぎ合わせて消費増税の前提をクリアしようとしている印象を拭い切れない。、選挙制度や議会制度は国の統治の基本に関わる問題だ。参議院の改革を含めて議論が深められなければならない。理念なき小手先対応で処理される課題ではない。決して先送りを主張するわけではないが、消費増税の前提として拙速に対応すべき問題ではない。取り敢えず、一票の格差是正を先行させたらどうか。
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