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政権担当能力を磨き野党再生を

 野党再生は日本の政治にとって重要課題だ。院内の統一会派論議などが進んでいるが先行きは不透明だ。
 選挙制度で小選挙区制は二大政党制、比例代表制は多党制をもたらす、と政治学の分野では常識的な法則として語られてきた。だが近年の日本では、この法則が当てはまらず、ここ3回の選挙で一党優位体制と野党の分散状況が続いている。90年代の政治改革法案によって中選挙区制から小選挙区比例代表制とし、選挙運動も政党中心の仕組みを取り入れ、政党助成制度も導入した。冷戦の崩壊という世界史の転換期に、旧来の55年体制のまま政治を続けて行くことへの危機感からの改革であった。海部、宮沢、と二つの内閣が倒れるなど苦闘の末に生まれた制度であった。小選挙区比例代表制は、二つの政治勢力が政策を提示して対峙し、選挙での勝者が総理の強いリーダーシップのもと政権を運営することを想定し制度設計された。制度発足後の数回の選挙では二大政党制に近づく現象が見られた。新進党、民主党と野党再編が進み二大政党の一角が形成され、民主党は2009年の総選挙では300議席を超える圧勝でついに政権を獲得した。順調に日本に二大政党制が定着するかと思われた。だが、この政権の致命的失敗がその後の二大政党形成の展望を失わせてしまう。民主党政権は沖縄問題などで誤りを犯しただけでなく「コンクリートから人へ」をキャッチフレーズに子ども手当や高速道路無料化などを掲げて政権運営を行ったが、多くの政策が破綻し自滅する。野党に求められたのは、この政権の失敗を反省し政権政策を磨くことだった。しかし安保法制反対などが声高に叫ばれたが、アベノミクスに対抗する経済政策や目指す社会像を国民の前に提示することはなかった。昨年の衆院選でも、ほとんどの野党から消費税引き上げ反対論と子どもから老人まで社会保障を充実します、などと根拠のない選挙政策が語られ、財政再建について国民の心配に応える政策提示はついぞ見られなかった。選択肢の示されない選挙で有権者は与党を選択するしかなかった。求められていたのは大衆迎合でなく、財源論から逃げない社会政策を確立し国民の将来不安に応える政策ではなかったか。
 では混乱状況にある野党をどう立て直すのだろうか。当然、即効薬はないが歴史を辿ると、今日に似た混沌とした政治状況の克服のために立ち向かった示唆に富む先例が見つかる。戦前の1913年新党・立憲同志会が設立されて政権獲得に至る足取りだ。同党は大隈内閣で与党だったが下野し、選挙にも敗れる。だが苦節10年、ついに1924年の選挙で第1党に躍進し加藤高明内閣が誕生する。巨大政党の政友会に対抗しながら、政権政策を磨く努力の積み重ね、後に総理を務める若槻礼次郎、浜口雄幸等が育つ人材の育成など、この間の歩みは今日の野党の格好の教材ではないか、と何人かの政治史の研究者が提言する(筒井清忠帝京大教授、奈良岡聰智京大教授等)。その後の二大政党時代を切り開いた憲政会の、政権獲得の努力の歩みを学ぶことは大いに参考になると思われる。合流、合併、統一会派など数合わせの話だけでなく、憲政会に学び、経済と社会の将来構想の確立のため体系的な政策を磨くこと、そして人材の育成に取り組む地道な努力の継続が必要ではないか。焦らず、研鑽を重ねて欲しいものである。
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